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   <title>中国地方紹介サイト</title>
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   <subtitle>私の出身地中国地方を紹介し、理解してもらうためのサイトです</subtitle>
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   <title>中国地方の島根県</title>
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   <published>2007-10-05T04:14:19Z</published>
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      <![CDATA[平成19年（西暦2007年）大田市の石見銀山が世界遺産に登録された。 
島根県東部の出雲国は神話で非常に有名な地域である。この地域を本拠としていた大国主命は広大な領域を治めたという。こうした神話は今では信憑性が疑われるところだが、彼を祀った出雲大社もあり、この地に巨大な支配者が居たのは確かと思われる。 
鎌倉期に隠岐は後鳥羽上皇・後醍醐天皇の二人の流罪地となった。一人は当地で死に、一人は帰国したが、これが京文化の伝播につながり、明治維新期の隠岐騒動に結びついたとも言われる。 
室町期は京極佐々木氏がこの地の守護大名となった。この京極氏を追放し、守護代尼子経久が戦国大名として出雲を支配。中国地方一帯に覇を唱えた。石見国は当国内に存在する石見銀山をめぐって争奪戦が展開された。 



江戸時代には堀尾氏が松江城を築いて出雲・隠岐24万石を領する。その後、京極氏の支配を仰いで、徳川家康嫡男の流れを汲む結城松平氏松平直政が18万石で出雲に入国、明治維新に至った。支藩の広瀬藩、母里藩石見国の江戸時代は石見銀山の代官料、外様津和野藩、親藩浜田藩が混在した。 


【相互リンク】
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   <title>中国地方</title>
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   <published>2007-09-14T11:24:36Z</published>
   <updated>2007-09-14T11:30:33Z</updated>
   
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      先日山陰地方（中国地方）の旅にでかけました。岡山で入ったサウナ、広島のお好み焼き、山口県の下関等とても思い出に残りました。

今日はそんな中国地方について解説します。

中国地方（ちゅうごくちほう）は、本州の西部に位置する、日本の地域の一つ。

行政区分としては、鳥取県・島根県・岡山県・広島県・山口県の5県より構成される。

■概要

便宜的に、兵庫県の西部（旧播磨国）と北部（旧但馬国）を含める場合がある。。

延喜式による「近国」「中国」「遠国」の三区分のうち、「中国」に属していたのが名の由来。 文献上の早い例は、1394年に足利直冬が備中、備後、安芸、周防、長門、出雲、伯耆、因幡の8カ国を成敗する「中国探題」としてみえる（「師守記」「太平記」）こと、翌50年に高師泰が足利直冬討伐に「発向中国（ちゅうごくにはっこうす）」（「祇園執行日記」）、54年に将軍義詮が細川頼有に「中国凶徒退治」を命じた（「永青文庫文書」）こと等。南北朝時代中頃には中央の支配者層に、現在の中国地域がほぼ「中国」として認識されていた。また中央政治権力にとって敵方地、あるいは敵方との拮抗地域であった。（岸田裕之執筆「中国」の項、『日本史大事典4』平凡社、1993）

旅行業などを中心に「China」（中華人民共和国）と区別するために、日本海側の称である山陰と、瀬戸内海側の称である山陽を合わせて山陰山陽地方（さんいんさんようちほう）の呼称を用いることもある。（まれに「陰陽（いんよう）」とも）

東国に対して西国（さいごく）と呼ぶこともあるが、例外的である。

より広域的に四国地方と合わせて、中国・四国地方（中四国）と呼ぶこともある。

■歴史

■古代
6世紀に近畿でヤマト王権が成立すると、近畿に近い山陰山陽の政治勢力は、早々とヤマト王権に参加した。当時の二大勢力圏であった、山陽の吉備国や山陰の出雲国は、独立性を保つ一方でヤマト王権とのパワーバランスも保ち、奈良時代には吉備真備などの高官を輩出した。しかし、吉備国の繁栄に危機感を覚えたヤマト王権によって、吉備国は分割され、勢力を削がれた。


■平安時代
10世紀の940年頃に、関東で平将門が畿内政権に対して反乱を起こすと、山陽では藤原純友が畿内政権に対して反乱を起こした（承平天慶の乱）。


■鎌倉時代?室町時代
鎌倉時代から室町時代にかけては、村上水軍が瀬戸内海を本拠地とした。室町時代に勘合貿易が執られるまでは、瀬戸内海の海賊たちは、倭寇となって朝鮮半島近辺で略奪を行った。


■戦国時代?江戸時代
戦国時代には、大内氏や尼子氏や毛利氏や小早川氏といった戦国大名が、山陰山陽を領するようになった。16世紀前半には、大内義隆が山陰山陽から北部九州に跨がって勢力圏を伸ばし、その本拠地たる山口は、「西京」（西の京都）と呼ばれるまでに繁盛した。大内義隆が謀反で自害すると、安芸国人衆の中で勢力を伸ばした毛利元就が、陶氏や尼子氏を滅ぼし山陰山陽を統一した。毛利氏は山陽中南部の広島に拠点を定め、それ以来広島は、山陰山陽に及ぶ広大な毛利氏支配域で随一無二の都市となる。

ところが、1600年の関ヶ原の戦いで、西軍の石田三成が徳川家康率いる東軍に敗れ毛利輝元も大坂城を退去すると、本拠地を広島から萩に移され（長州藩）、領地も東軍に内応した吉川広家に宛がわれる予定だった周防・長門の2国に削減された。

江戸時代になると、大小様々な大名が領するようになった。鳥取藩は徳川将軍家との関係が強く（鳥取藩初代藩主、池田光仲は父が徳川家康の外孫にあたり、12代藩主慶徳は徳川慶喜の兄）、全国有数の石高を誇った。又、池田光政・綱政といった名君を出した岡山藩、松平治郷の下で発展を遂げた松江藩を初めとして、徳川幕府が中国・九州地方の幕府拠点として幕命で備後福山藩を興し、その初代藩主には徳川家康の母方の従兄弟である猛将水野勝成を配した。また浅野氏が治める広島藩は、頼山陽といった歴史家を出した。殊に岡山と広島は、藩内経済の進展も手伝って、江戸時代後期には日本で十指に入る城下町へと成長した。


■幕末から第二次大戦まで
幕末から明治維新にかけての動乱期には、江戸幕府への敵対心を燃やしていた長州藩が、時代をリードする事となった。時代を同じくして、津和野藩は、4万石でありながら、石高の二倍三倍もの経済力を持ち、明治初期には西周や森鴎外などの知識人を輩出した。

欧米列強による植民地化が世界中で進む中、明治政府は富国強兵政策を執って植民地化を免れた。当時、朝鮮半島や中国にも近い山陽や北九州は、経済や軍事における要衝ともなった。1894年に日清戦争が起こると、帝国議会と大本営が臨時に広島へ移転し、これ以来、広島は兵站も置かれて軍需都市ともなった。又、広島近郊に位置する呉や江田島も、帝国海軍の本拠地ともなった。この影響か、第二次世界大戦の終結直前には、軍都たる広島にはアメリカ軍によって原子爆弾が投下され、岡山、呉、徳山、下関、福山などの当時の主要都市は軒並み激しい空襲を受けた。


■第二次大戦後
高度経済成長期には、概して東日本で中央たる東京への人口流入が起こったために、山陰山陽では大きな地殻変動を招くには至らなかった。

1970年代に、田中角栄政権が「地方への再分配」を掲げると、山陰山陽でも交通網が整備されるようになる。山陽新幹線は、1972年に岡山駅まで開通し、1975年に全通した。

又、高度経済成長期以後は、「過疎と過密」が顕在化するようになり、山陰山陽を横断する幹線高速道路の一つである中国自動車道は、津山や三次などの山間部を経由するルートとして建設された。山陽自動車道の全通は、1997年末であった。これと前後して、1988年には瀬戸大橋が、1999年にはしまなみ海道が開通したものの、山陰と山陽の格差が大きくなる結果となった。

更に、バブル経済が破綻すると、1996年以後のデフレーションの進行や不良債権の処理、郊外型ショッピングセンターの隆盛などとも相まって地方全体が不況に悩まされた。

近年は、山陽側の各都市において再び好景気となる反面、山陰側の都市や中山間地域では引き続いて厳しい状況が続いており、早急な格差是正対策が求められている。

中国地方は幕末の長州藩がとても有名ですよね。中国地方だからこそ有名人物を幕末から維新にかけて輩出できたのではないでしょうか。



      
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